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原発と「小さき人々」

2024/06/10
  • 脱原発・自然エネルギー
原発と「小さき人々」

能登ボランティアから帰って1ヵ月。

立夏-小満-芒種と季節は移り、
丹那盆地もすっかり
田植え後の風景に変わった。

 

僕もまた「日常」の繰り返しに戻って、
日々あれやこれやと一喜一憂を繰り返している。

震災に遭った人はよく
「当たり前の日常が当たり前ではなかった」
ことに気づかされた、と語る。

自分はその重大さが、
本当に分かっているのだろうかと、時々思う。
いっぱい東北にも行ったのに・・・

 

今年は梅雨が遅いらしい。
でも紫陽花は年々早くなっているような
気もしたりする。

 

夜になると、周辺の田んぼから
カエルの大合唱が聞こえてくる季節。
帳の降りた深夜に、
いつまでも続く生命の歌声。
何ともいえない深い安心感を覚えるのは、
ああ今年も聞こえてきたと、
変わらず巡ってきた日常に
「平和」を感じるからだね、きっと。
当のカエルたちにとっては
種の保存のための闘いの季節なんだけど。

 

そんな感慨に耽ったりもする
梅雨前の6月8日(土)。
能登に関わり続けるジャーナリストの
講演会の案内を見つけたので、
静岡(市)まで出かけた。

講演会を主催したのは、
静岡市を拠点に活動する
静岡放射能汚染測定室
プラムフィールドさん。
他に19団体が共催・協賛に名を連ねている。
僕は共催するパルシステム生協静岡さん
からの案内で、この会を知らされた。

講演の主は元NHKのディレクターで、
長きにわたって原発や沖縄問題などの
ドキュメンタリー番組を制作された
七沢潔さん。

原発関連の取材では筋金入りの方である。
福島原発事故の際は、他の報道機関が
30キロ圏内への立ち入りを自粛していた段階で
現地に入り、取材を続けた。
放送されたETV特集は大きな反響を呼び、
文化庁芸術祭大賞など数々の賞を受賞した。
今は中央大学の客員教授となっている。

 

講演のタイトルは
原発と小さき人々、そしてメディア
 ~能登、福島、チェルノブイリでの取材から~」。

会場は静岡市葵生涯学習センター
(アイセル21)の大ホール。
参加者は150人といったところか。

七沢さんが能登に関わったのは、
チェルノブイリ原発事故の取材の後、
1988年あたりからか。

当時、志賀原発は建設工事中で、
珠洲市では建設計画をめぐって
地元での対立が激化しつつあった。
その現地の動きを丹念に取材して
制作されたドキュメンタリー番組
『原発立地はこうして進む』
は、90年5月に放送された。

講演は、改めてその番組を視聴してから
行われた。

番組の内容は割愛するが、
水面下での生々しい裏交渉の様子
(夜に家庭訪問する推進側と
 監視・追跡する反対派の攻防など)
が描かれていて、原発とは本当に
地域をお金で分断させるものだと、
改めて思い知らされる。
そしてそんな場所で、
キツい圧力に抗いながら、
地域の暮らしや自然を守ろうと、
粘り強く運動を続けた人々の
信念と葛藤の深さを思う。
(珠洲原発の計画が凍結されたのは、
 このTV放送の13年後、
 2003年のことである。)

 

そしてまた「スゴいなぁ」と思うのは、
七沢さんは取材後も現地の方々と、
ずっと接点を持ち続けてきたことだ。

今年元旦に起きた地震では、直後から、
当時の反対運動のリーダーだった
お寺の住職・塚本眞如(まこと)さんたちの
安否情報を追いかけ、
1月20日には避難先を訪ねている。

倒壊したお寺や隆起した海岸線を
一緒に歩きながら、この半島の突端に
もし原発が建っていたら、
はたしてどうなっていただろうかと
語り合う動画も流された。

地震後、僧侶・塚本さんの元には、
知らない人たちから
「原発を止めてくれてありがとう」
「西日本を救ってくれた」
といった感謝の言葉が多数寄せられたそうだ。

 

3.11後に設定された避難計画は
まったくの絵空事であることも、
七沢さんは指摘する。

道路は各所で寸断され、
近くの避難所にもたどり着けない。
近所の人を助けることもできない。
家屋倒壊・半壊だらけのなかでの、
屋内退避の非現実性。。。

いま日本列島は地形変動期に
入っている。
そんな時代に原発の再稼働や
運転延長を進めることの危険性を
強く訴えて、
七沢さんは講演を締めくくった。

 

七沢さんが講演のタイトルにつけた
「小さき人々」 という言葉は、
ベラルーシのノーベル賞作家、
スヴェトラーナ・アレクシエービッチが
大切にしている言葉だ。

名もなき「普通の人々」の声に耳を傾け、
『戦争は女の顔をしていない』や
チェルノブイリの祈り』などの大著を
丹念に編み続けた作家の精神を、
七沢さんもまた信念としてきたことが
窺える。

 

絶望を救うのは「日常」だと
アレクシエービッチが語った
インタビュー記事を読んだことがある。
日常の中の、何か人間らしいことによって
人は救われるのだ、と。

原発の立地予定地だった
珠洲市高屋町では、
発災直後から食事を持ち寄るなど
人々の支え合いがあり、
一人の死者も出さなかったという。

「日常の中の何か人間らしいこと」が、
「普通のこと」として
そこにあることの大切さを
「小さき人々」が教えてくれている。
「豊かさとはなにか」
という古くからの問いも含めて-

 

今度能登に行ったときは、
珠洲まで足を運んでみたいと思う。
同じく原発計画に抗った町
に育った者として、
かつての予定地に立って、
「小さき人々」と
かけがえのない「日常」に
感謝の祈りを捧げたい。

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