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エビちゃん日記
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(前回からの続き)
1月9日。
間に合うか心配したが、
約30分ほどの遅れで米沢駅に到着。
タクシー乗り場で一緒になった
福島わかば会(三扇商事)の佐藤さん
(亡くなられた元代表・泉さんの息子さん、
きょうすけさんだったか)と
相乗りで葬儀会場に向かう。
会場は「ナウエルホール米沢」。
何とか午後2時の開式には間に合った。
ご遺族に挨拶して
後ろの方の空いていた席に座る。
広い式場で、300人はおられたか。
両壁ぞいには生花がびっしりと並べられ、
小林亮さんの人脈の広さと
生前の活躍ぶりが偲ばれる。
亮さんが、それまで番頭さんのような
役割を果たしていた米沢郷牧場から独立して、
11人の仲間と「おきたま興農舎」を設立
したのが1989(平成元)年のこと。
12坪の中古プレハブからのスタートだった。
大地を守る会との提携は91年からだが、
その時すでにメンバーは45名に
膨れ上がっていた。
それだけ仲間から慕われていた、というより
「彼に付いていけば~」という信頼が
人を呼び寄せたのだろう。
時を経ずに、米・果物・野菜と
ほぼ全ての生産物を取り扱うようになった。
なので亮さんとのお付き合いは、
米沢郷牧場時代から数えれば、
ほぼ「大地」の歴史と重なってくる。
剛直で信義にあつく、農民なのに
古武士ような風格があった。
農民一揆を率いた先祖が二人いる
という、反骨血筋の人であった。
農家から一円でも高く買ってやりたいと、
資金繰りにも苦労されていた。
「死んだら保険金で何とかなるべ」
「オレの命でよければ、いつでも~」
と、よく笑っていたのが忘れられない。
ちなみに、フルーツバスケットの
ジャム第一号は、りんごジャムだった。
原料のりんごをトラックに積んで、
亮さんが自ら運んできたのは、
会社の伝説になっている。
そんな生き様を見ながら、
僕らは鍛えられてきたのだ。
感謝しかない。
亮さんにつけられた戒名は
「宝徳院亮山興農正道居士」。
農を再興させ、正しき道を歩む、
その通り生き抜いた人生だったと思う。
大作幸一さん、
近藤正明さん、
そして小林亮さん。
ありがとうございました。
性格は違えど、
それぞれ不撓不屈に「農」の世界を
生き、有機農業を切り拓いてきた。
願わくば、未来を信じて
逝ってくれたことを祈りたい。
いまフルーツバスケットは
みかんジュース製造の繁忙期の
真っただ中。
今日(25日)は土曜日だが、
パートさんにも臨時で出てもらって、
製造に入る。
この日の製造は、熱海で小さなカフェ
「オーガニック・ボックス」
を営む杉本さん夫妻から依頼の
ぽんかんジュース。
自然農法で育てたぽんかん。
樹も増やしているようで、
依頼3年目にして、持ち込まれた
原料が1トンを超した。
いつものように丁寧に
一個一個手で皮を剥いた、
混ぜ物なしの
100%フレッシュ・ジュース。
今年も濃厚で
いい味に仕上がったと思う。
自社品の製造だけでなく、
こうやって地域の生産者たちを
応援できるのが嬉しい。
先達たちが切り拓いた道を、
少しずつでも、豊かに
広げていきたいと思う。
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