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エビちゃん日記

2025/02/25
  • 雑記その他
SILENT FALLOUT

話しは前後しちゃうけど、
2月22日(土)は、
JR東海道線に乗り、
神奈川県大磯町に出向いた。

数週間前に、
この町で『SILENT FALLOUT』
(サイレント・フォールアウト)という
ドキュメンタリー映画の自主上映会がある
との情報を得て、申し込んだところ、
主催者から「ぜひ!」のお返事を
いただいたのだ。

 

函南から大磯まで電車で1時間4分。
湘南海岸の、この町に降りるのは初めて。

会場は、駅から海に向かって
ダラダラと坂道を下る途中にある
大磯町立図書館の大会議室。
およそ100人くらいで一杯になりそうな
スペースだった。

 

上映中の撮影はもちろん禁止だが、
開会前の様子を一枚だけとお願いして、
撮らせてもらった。

この時点ではまだ空席があったが、
上映が始まる午後1時半にはほぼ満席となった。
上映会の主催は
福島の子どもたちとともに・西湘の会」。
3.11のあと、被災地・福島の
子どもたちの保養支援で生まれた団体である。

 

SILENT FALLOUT
直訳すれば「沈黙の 死の灰」、で良いでしょうか。

この映画を撮ったのは伊東英朗監督(64歳)。
地方テレビ局のディレクター時代に、
「第五福竜丸」乗組員以外にも
多くの水爆実験による被ばく者(マグロ漁船員)
がいたことを取材したことがきっかけとなって、
ずっとこのテーマを追い続けてきた
執念深い映像マン。

いや失礼!
何の補償もなく、国から無視され続けてきた
被害者の無念を受け止め、伝えることを
引き受けてしまったのだ。

 

『放射線を浴びたX年後』
シリーズを2本撮り、
今回が3本目の作品となる。

私たち日本人は、いや世界中の人々も、
「ヒバクシャ」といえば
ヒロシマ・ナガサキや
ビキニ環礁での水爆実験によって被ばくした
人びとを連想すると思うが、
それだけではない。

北米大陸ではじつに
101個の核兵器が地上で炸裂している、
「実験」という名目で。

1945年夏に広島と長崎で原爆が投下され、
翌年からの太平洋上での水爆実験を経て、
1951年からアメリカ国内・ネバダ州での
核実験が始まった。
カジノの街ラスベガスを擁し、アメリカで
唯一、売春が合法化されている砂漠の州である。

以来、大気園内での核実験を禁止する
条約(部分的核実験禁止条約)が成立する
1962年7月まで、100回の
大気圏内(地上)核実験が実施された。
(ちなみに、その後は地下実験となり、
 92年まで828回行われている。)

当然のことながら放射性物質は風に乗って
アメリカ全土に広がっていくのだが、
その危険性は知らされることなく、
空中に伸びていくキノコ雲を
実験に駆り出された兵士も
面白げに眺めたり、
それどころか、なんと市民向けに
見学ツアーまで企画され人気を博したという。
ブラックジョーク的に言えば
「核実験ツーリズム」である。
(それでラスベガスが発展したとも
 言われている。)


(拡散した放射性物質。映画のパンフレットから)

 

そして必然的にアメリカ国内でも
被ばく者は発生し、市民による反対運動も
起きたのだが、因果関係を証明するのは
困難だった。
そこで登場したのが、
ミズーリ州セントルイスに住む
ルイーズ・ライスさんという女性医師。

  自分たちの手で調べなければ、
  子どもたちの命は守れない。

そう決意したルイーズ医師が、
試行錯誤のうえ見つけたのが、「歯」。
生え変わる子どもたちの「乳歯」
だった。

共鳴した母親も巻き込んだ運動に
学校や歯科医なども協力して、
集まった乳歯が32万本!

そしてついに、
核実験当時の子どもたちの体内に、
自然界にはほとんど存在しない
(つまり核実験によって生まれた)
ストロンチウム90が蓄積していった
ことを証明したのだ。

この運動が当時の大統領、
ジョン・F・ケネディを動かし、
大気圏内核実験の廃止につながる。
女性と子どもたち(の歯)が、
地上での核実験を止めさせたのである。

 

伊東監督は、2本の映画を撮った後、
日本国内だけでの活動に限界を感じて、
アメリカ国民向け映画の制作に挑んだ。

核実験によって被ばくした当事者や遺族、
歯を提供した当時の子ども(今は相応の年齢)
たちを取材して回り、研究機関を訪ねて
専門家にインタビューし、
この歴史的事実を一本の作品にまとめた。

そして、老後のために残しておいた
貯金を投げ打って、
全米各地で自主上映活動を続けてきた。
その距離、これまで1万6千km。

 

今回の上映会では
監督のトークの時間も設けられた。
訴えられたキモは、
ここにいる私たちも含めて
世界じゅうの人々がヒバクシャなのだ、
ということかと受け止めた。

太平洋での実験も、風に乗って
太平洋沿岸諸国からインド洋まで、
放射性物質は拡散している。
ソ連(当時)も中国も、
大量の「実験」を行なっている。
加えて原子力発電の過酷事故もあった。

この地球上で被ばくゼロの場所はない。
そして核の被害は、
戦争で落とされるまえに、
製造段階から発生しているのである。
当事者として考えてほしい、と。

ちなみに、アメリカでは今でもハチミツから
セシウム137が検出されている。

 

伊東監督の
アメリカでの上映ツアーは、
寄付や上映会参加者によるカンパに
頼りながら続けてきたが、まだ赤字で、
「続けるのも限界に近づいている」
との事であった。

 

映画の最後に女性の証言がある。
夫は軍人で、
マーシャル諸島での核実験後の
瓦礫処理に参加し、被ばくした。

  私は死ぬまで闘い続けるつもりです。
  夫たちが何をさせられたのかが
  認められるまで、そして彼らが
  何によって被ばくさせられたのかが
  明らかにされるまで。
  仲間を次々に失いつつあるけれど、
  私はやめません。
  何が起きたかを、世界に知らせるまでは。

 

この撮影を続けながら、
伊東監督の胸の中では、
マグロ漁船員だった “おいちゃん”
たちの無念の上に、
アメリカでの被ばく者たちの無念が
積み重なっていったことだろう。

僕らは、一人の映像作家に
「何か」を託すだけでは
すまされないことを、
覚えておかなければならない。

 

湘南海岸を眺めることも忘れて、
重い頭を引きずりながら、
帰路に着いた。

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