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お代官「江川家の食卓」再現

2024/04/23
  • 雑記その他
お代官「江川家の食卓」再現

前回からの続き。

では、再現された
韮山代官・江川家の食卓を。

用意されたメニューは10品。
参加者50人ほどぶんが、
ビュッフェ形式で用意された。
「いっさい」の料理人・戸田雅代さんや
スタッフのご苦労が推し量られる。

 

まずは正月に出された料理の一品、
煎鳥(いりどり)。


鳥肉を大きめに切り、
たまり醤油をかけ、皮を煎って身を挟んで
焼いた料理。

続いて1月11日の「具足開き」「蔵開き」
(仕事始め)の日に供された
大根と焼き豆腐を入れたはんぺんの味噌煮。

具足開きの日には
「ぶとの隠しみそ酢」も出された。
「ぶと」とは、ところてんのこと。

 

15日には正月飾りを外して焼き、
夜に「御日待(おひまち)」という
行事が行われた。
「御日待」とは、集落の人たちが集まって、
眠らずに籠って一夜を明かす行事らしい。
お日様を待つって意味か。

その日の料理から、
胡麻を使った大根・人参・芹の酢和えを
再現。

「御日待」は5月と9月にも行われ、
それぞれ季節にあった食材が使われた。

5月の御日待で出された、
大根・牛蒡・小豆・竹の子・豆腐の煮物。

 

年末、12月13日は煤払いの日。
昼食には鮪の粕漬けが振る舞われた。
マグロも食べてたのか。

 

江戸に登城した際には、
鯛の味噌漬けや干し鯛を献上した。

その干し鯛を使った汁。
江川家はタイを珍重したようだ。

 

他に、なます、こんにゃくの白和えも。

 

場はいつしかただの飲み会ふうになり、
皆ご機嫌な面持ち。

 

仕上げに出されたご飯は、
江川酒の原料と同じ「江川米」
(品種は「あいちの香り」)の七分づき、
そして香の物。

最後のデザートは、
英龍公の愛した紅桜餅。

どれもこれも
上品な味に仕上がっていて、
戸田さん、さすがです。
ご馳走様でした!

 

ちなみに、
財団法人江川文庫学芸員で、
NPO法人伊豆学研究会理事長でもある
郷土史研究家・橋本敬之さんが著した
『江川家の食卓』によれば、
幕末の巨人、第36代当主・江川英龍公は
質素倹約を旨とし、
「一汁一菜」を説いたが、その一汁は
今ふうの味噌汁や吸い物ではなく、
野菜の具をたくさん入れた煮物ふう、
けんちん汁のようなものだったらしく、
「一菜」もただの香の物ではなく、
上記のような料理を主菜としたもので、
栄養価も高いものであったという。

また英龍は、日本で初めてパンを焼いた
「パン祖」として有名だが、
カステラも焼けばコーヒーも飲んでいた。
さらには、ワインも作ったというから
驚きである。

「殿様、葡萄酒をお製遊ばされ候に付
  殿林へ出張」

殿は葡萄酒をつくるために山にお出かけ、
だと。
江川家の山林には野生のヤマブドウが
自生していた。
ブドウも植えたのではないか、というのが
橋本氏の推理である。

 

日本に西洋砲術を普及させ、
東京・お台場の元をつくっただけでなく、
数々の功績を残した江川英龍。

前にも書いたけど、英龍の人生は
大河ドラマに描けるだけのボリュームと
価値がある。

この日、
たまたま前の席に座られた方が、
「江川英龍公を広める会」の
元会長さんだったので、
ここでもそう言ってみたところ、
じつはNHKに交渉したことがあったが、
却下されたんだそうだ。

理由は、「女性が出てこない」から。

質素倹約で自らを律した英龍。
酒の量は1合と決めていた。
水戸藩主・水戸斉昭公(徳川慶喜の父)に
呼ばれ、執拗に勧められた際も
1合しか飲まなかったという。
ホンモノの堅物では視聴率が稼げない- か?

しかし、母も妻もいる。
きっと立派な人であったに違いない。
想像力が足りないだけじゃないか。

 

酒も、料理も、再現できた。
あとは橋本さん。
周辺人物の調査ですね。
お願いします。

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