logo

BLOG

エビちゃん日記

トップ エビちゃん日記

土とともに 美術にみる《農》の世界

2023/08/28
  • 雑記その他
土とともに 美術にみる《農》の世界

8月26日(土)。
お盆休みの小旅行を断念して、一時は諦めかけたが、
やっぱこれだけは見逃したくないと、妻を誘って
茨城県は水戸まで出向いた。

なお、茨城は「いばらき」です。
「いばらぎ」と濁って読むと大阪にある市(茨木)になります。
茨城県に行かれる際は、どうぞご用心を。
一字読み間違えるだけで、周囲の目線が厳しくなります。

で、目的地は、茨城(いばらき)県立近代美術館。

JR水戸駅から徒歩約15分とあったが、
初めての町ということもあって炎天下歩いてみたが、
途中で方角を間違えて、倍の時間をかけて、汗だくで到着した。

温暖化どころか熱帯化しつつあるこんにち、
夏にテキトーな感覚で街を歩くのは危険です。
皆さま、気をつけましょう。

お目当ては、ここで7月8日から開催されている
『土とともに 美術にみる〈農〉の世界』展
開催が9月3日までだったので、僕にとって
この日が見に行ける最後のチャンスだった。

この美術展の開催を知らせてくれたのが、
6月の本ブログで紹介した元瓜連町(現那珂市)町長の
先崎(まっさき)千尋さん。
展示のタイトルを見ただけで、行かないと後悔するかも、
と思ったのだった。

とくに「この目でたしかめなければ」と
義務感すら感じたのが、
ジャン=フランソワ・ミレーの『種をまく人』である。
やっぱね、『種蒔人』というお酒を開発した者としては、
原画は一度は見ておく必要がある。

写真撮影は許されず、購入したパンフレットから-

左が『種をまく人』、右ページの上が
これまた有名な『落ち穂拾い』。
同じ構図での油絵が馴染みだけど、
今回展示されたのはエッチングのオリジナル。
意外なほどに小さな作品(19.0 × 25.2㎝)だった。

そして肝腎の『種をまく人』。
こちらはオリジナルではなく、
「クローン文化財」と言われるものだった。
解説によれば、
「最新のテクノロジーと、専門的な知見、伝統的な職人技術等により、
 オリジナル作品のもつ質感やマティエールを忠実に再現した
 精緻な複製」とある。

まあ、絵心のないワタクシには、
オリジナルとクローンの見分けはつかないので
(いや、プロでも見分けは厳しいらしい)、
これで充分なのかもしれない。
「貴重な文化財の展示と保存を両立させるための画期的な技術」
ということでもあるし。。。でもちょっと残念。

 

19世紀、
バルビゾン派といわれる田園回帰派の画家たちによって、
〈土に生きる〉農民の営みが、新たな風景(対象)として
「発見」されたのは、産業革命の後である。

いや正確に言えば、イギリスの産業革命は1760年代から始まって、
1830年代に完了したと言われていて、
フランスの産業革命はその頃から始まったのだが、政治的には
絶対主義王政を倒した(フランス革命)前世紀から
紆余曲折を経て、第二共和制からナポレオン3世の時代。
人権意識の高まりと急激な産業化を背景として、
「働く者」の姿を描こうという流れが生まれた。
しかも自然の風景の中にある「農に生きる」人々の姿が
描かれ始めたのである。
バルビゾン派の発生には、社会的背景があったのだ。
(日本ではいま、新たな「田園回帰」が始まっているように、
  僕には思える。)

そして多くの働く農夫が描かれた。
いやむしろ「農婦」のほうが、描かれた数は多かった。
昔から農耕においては、女性のほうが働き者だったようだ。


(ジュール・ブルトン「朝」)

展示は五部構成になっていた。

第Ⅰ章‥‥田園風景の「発見」 フランスと日本
第Ⅱ章‥‥ふるさとへの想い わが愛しき農村
第Ⅲ章‥‥畑のマリア モデルとしての農婦と子
第Ⅳ章‥‥現実と抵抗と はたらく農民への共感
第Ⅴ章‥‥アートの土壌としての農

絵画史を解説をできる知識は持ち合わせてないけど、
バルビゾン派や印象派が隆盛した時代は、
日本では幕末から明治前期にあたる。
日本の画家たちは、来日する西洋人から油絵や水彩技法を
貪欲に学び、かつ「日本的」に表現していく。
それらの作品も展示に取り入れられていた。

名所旧跡でもない、普通の田園風景の中に「美」を見い出し、
働く農民の姿が描かれ始めたのである。
自然の美しさと人の営みが調和した「風景」が。

茨城(いばらき)や北関東で、そういった芸術運動が
あったことも、この展示で知らされた。
とくに僕に記憶に残ったのは小川芋銭(うせん)という名。
どこかで出会う機会があったら、ぜひ見てほしい。

 

第Ⅳ章では、プロレタリア芸術運動の足跡を
見ることができた。
「農の魂」を、根源的な生の営みと捉えて
アートとして表現しようとたたかった芸術家たちがいた。

衝撃的だったのは、20世紀前半のドイツの女性版画家、
ケーテ・コルビッツの『農民戦争』の連作だった。

「一貫して下層階級の農民や労働者に寄り添い、
 彼らの悲惨さや戦争の悲劇を訴え続け、
 自由や平和を希求する力強い作品を制作した」
(パンフレットより)

 

でも、自分でも不思議に思ったのは、
一番感動を覚えたのは、
ミレーでも「たたかう農民」の絵でもなかった。

カミーユ・ピサロ(1830~1903)の
「エラニーの牛を追う娘」だった。
なぜなのかは、今でもよく分からない。

パンフレットの解説にはこうある。
「他の印象主義者たちのようにブルジョワジーの遊興を描かず
 農民の労働を主体としたピサロは、農村の元来の姿だった
 相互扶助型の共同体を理想とした」

先崎さんが僕に「見ておけ」と伝えたかった意味を、
少しだけ理解できたような気がした。

 

最後の第Ⅴ章だけは、撮影が許可されていた。

〈農〉をどう表現するか。
その精神は現代アートにも受け継がれているのだが、
正直言って、僕にはよく分からなかった。
ワタクシの限界ですね。

 

観終わった後、ここまで来たらと
常磐線を北上し、福島県いわき市まで足を延ばして、
古滝屋という旅館に泊まった。
その報告を次回に。

お問い合わせ

Contact

商品、委託加工、
その他ご不明点につきましては、
お気軽にお問い合わせくださいませ