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エビちゃん日記
- あんしんはしんどい日記
- 震災復興
なかなかスピーディに書き進められず、すみません。
三陸鉄道ツアーの続きを。
三陸鉄道南リアス線の終点・盛(さかり)駅でレトロ列車と別れた
我々『藻谷ツアー』一行は、再びバスに乗って気仙沼へと向かった。
大船渡、そして陸前高田を通過する。
モニュメントとして残された「奇跡の一本松」や、
かさ上げされる防潮堤、まだ残る集合住宅の惨状などを窓越しに眺めながら、
3年前の光景 が蘇り、重なってくる。
随分と高い位置でパイプラインが走っている。
このパイプを伝って、山から土が運ばれてくるのだ。
海に近い低地をかさ上げする工事で、その高さは何と14メートル!
126ヘクタールの土地に、東京ドーム9杯分の土が盛られ、
その上に新しい街が建設される。
被災地の復興事業では最大級の事業である。
“ 海と緑と太陽との共生・海浜新都市の創造 ”
と謳った陸前高田市の復興事業は2018年まで続く計画である。
はたして人々は戻ってきてくれるのか、どんな街の姿になるのか、
不安は尽きないことだろう。
誰もが同意する “ 正解 ” はどこにもなく、
「やるしかないのだ」の決意で、新たな高台の街建設が進む。
奇跡の復活を果たすのか、それとも・・・答えは4年後である、いやもっと先か。
気仙沼に入り、二人のゲストがバスに乗り込まれて、
藻谷さんが聞き役となってのトークが行われた。
一人目は気仙沼市役所都市計画課の里見容さん。
立命館大学在学中に復興支援のボランティアで気仙沼に入り、
そのまま市役所に就職されたという方。
悩み多き青年時代の軌跡から復興の現状に対する思いなどを伺う。
大学の通信に、里見さんの取材記事があるので参照してほしい。
➡ http://www.ritsumei.ac.jp/rs/category/r_na_hito/entry/?param=457
二人目は、気仙沼バッティングセンター「フェニックス」の千葉清英さん。
震災時の津波で5人の家族(両親、奥さん、二人の娘)を失い、
息子の瑛太君(当時10歳)と二人きりになった。
茫然自失となったが、「何かしないと気が狂いそうで」、
一週間後から牛乳屋の仕事を復活させ、がむしゃらに働いた。
野球の好きな二人はある日、気分転換のつもりで、車で1時間半かけて
奥州市にあるバッティングセンターまで球を打ちに行った。
何度か通ううち、瑛太君が「気仙沼にもあったらいいね」
と漏らした一言で、父は奮起する。
みんなを元気にする場が必要だと。
建設資金を貯めるため、「復興応援!希望ののむヨーグルト」を開発、
全国の物産展で販売しては貯めていった。その数5万本とか。
支援者からの寄付も集まるようになり、銀行からも借り入れして、
昨年3月30日、オープンにこぎつけた。
息子との約束を果たして、
『フェニックス』と命名されたバッティングセンター。
「カンパなんかいりません。
そのかわり、1打席でも打っていってください。」
そう言われたら、やるしかない。
何十年ぶりかで、打席に立つ。
200円で23球。
23の数字は子供の年齢を足した数だったか・・・すみません、記憶が曖昧。
70から130キロまでの球速で7打席。
どの打席も左右で打てるようになっているのは珍しい。
順番を待って、100キロで挑戦。
当たることは当たったが、ほとんどファールか内野ゴロ。
ヒット性のあたりはたったの2本、という結果。
いや、でも楽しかった。ストレス発散になる。
こんなに楽しかったかなぁ・・・病みつきになりそう。
元広島カープの高橋慶彦さんも少年野球教室を開いてくれたそうだ。
何とか “ 世界の王 ” さんに来てほしいと、伝手をたよって頼んだところ、
多忙のため実現できなかったが、後日、直接励ましの言葉を頂いて感激した。
そんなエピソードも披露してくれた。
「息子の道しるべにならねば」の決意で約束を守った父の、
証しのバッティングセンター「フェニックス」。
被災地にはたくさんの物語が生まれている。
夕方から気仙沼プラザホテルにて交流会。
参加者は、話した人だけでも北海道から山口まで、しかも職業はバラバラ。
さすが全国を飛び回ってきた凄さを感じる。
追っかけてきたメディアも複数あった。
みんな熱烈な藻谷ファンである。
しかし僕の頭の片隅には、
3月5日に千葉・さんぶ野菜ネットワークの総会で聴いた
慶応大教授・金子勝さんの辛口批評も記憶に残っている。
「藻谷理論は逆立ちしている。
人口の波が経済を動かしているのではなく、
経済的・社会的要因が人口動態に影響しているんだ。」
まあ、分析や論理の建て方は違えども、結局二人の提言の方向は
ほぼ同じようなので、僕はそれ以上深く考えてない。
研究者じゃないし、両方の論を冷静に頭に入れておこう、てなもんで。
ホテルに泊まる組があまりに多くなったために、
予定外に設定された夜の一席で、思いかけず(内心は期待していたけど)
畠山信さん(NPO法人「森は海の恋人」副理事長)に会うことができた。
仕事を終えて来てくれたのだ。
1月に築地で開催した お父さん(重篤さん)の講演会 では、
信さんが色々と調整に骨を折ってくれた。
御礼を伝える機会が持てて嬉しかった。
藻谷さんを囲んで、記念に一枚いただく。
桜が満開の気仙沼で一泊して、
翌朝は三三五五の解散となった。
明日はおまけで、気仙沼復興屋台の写真を載せたい。
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