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エビちゃん日記
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夏休み中に発せられた安部首相の戦後70年談話には、
いろいろと突っ込みたくなるけれど、
ここで触れるのはやめておいて、
代わりに大地を守る会HPで発表された
「私たち大地を守る会の戦後70年談話」を紹介させていただきたい。
ご一読いただければ嬉しいです。
さて、秘境のその向こうの美しいニッポン、
木頭村の話。
全国あまたある一級河川の中でも、
かなり美しいほうの川だと確信する那賀川の上流部に、
木頭(きとう)村はある。
この地でダム建設計画が持ち上がったのが1970年代初頭。
ダム建設は村の繁栄を約束する事業として推進されたが、
下流域に建設された3つのダムで集落が崩壊してゆく様を見て、
反対運動が起きた。
その後、賛成VS反対の争いが30年にわたって繰り広げられた。
たかだか人口1600人余の村で、
家族・親戚から隣り近所、友人の間で深い溝が生まれるという、
原発など大型公共事業にありがちな負の現象が、
四国山中の村で出現してしまったのである。
そんな状況の中で1993年、
推進派の村長が失踪するという事件が起きた。
突然の村長不在!
なんかドラマになりそうな話だけれど
(いや、サスペンス劇場のような話ではなかったが)、
ま、それはともかく、首長不在3ヶ月後の選挙で、
反対派の藤田恵氏が無投票で村長に就任した。
そしてついに、日本で初めて、
住民運動によるダム建設計画白紙撤回という快挙が、
過疎の山村で実現したのだった(正式中止は2000年)。
この村にも弘法大師(空海)の銅像が建っている。
空海が木頭村を訪れたかどうかは疑問が残るが、
何しろ四国はお大師さんが好きだから、
ま、許すとして、話を続けたい。
藤田恵村長は、ダムに替わる村の活性化事業として、
第3セクター方式による食品加工場建設を進めた。
しかし事を急いたか、最初に創った会社はうまくいかず、
「ふるさと創生資金」から2億8千万という金額を借入して
経営を維持させようとするも、あえなく破たんすることとなる。
その3セク会社が「(株)きとうむら」と改めて出直したのが1998年。
しかし再建は思うように進まず、さらに1億円の負債が積み増しされ、
そこで経営改善を託されたのが、
東京・お茶の水でGAIAという自然食品店を経営していた
日野雄策さんだった。
日野さんは、
有機栽培による木頭ゆずブランド製品の開発を手始めに、
大豆・おから製品の開発、ミネラルウォーター事業などに取り組む。
そして20名以上の正規雇用、年間1億円以上の売上を達成するも、
2005年の町村合併により、
現在の那賀町に借入金を移行する形で今に至っている。
そんな茨の道を歩んできた日野さんから、僕に一つの依頼があった。
ある人に会いたい。セッティングをしてくれないか、というものだ。
ある人とは、僕の高校の同級生である現在の木頭村森林組合長。
ダム建設でもめていた時代に村会議員をやっていて、
推進派の中心人物と目された奴だ。
村を割った時代の遺恨は、今でも残っている。
4年前の高校の同窓会で、彼すなわち森林組合長の榊野千秋が
「㈱きとうむらは認められんな」
ときっぱりと言ったのを、僕は覚えている。
㈱きとうむらの前身時代からの運営と
お金の流れに対する不信感がにじみ出ていた。
問題はダムだけではなかったのだ。
あとからやってきた日野さんとしては、
問題は過去よりも未来である。
必死で改革に取り組み、売り上げを伸ばし、地元雇用を増やし、
木頭ブランドを首都圏に広めただけでなく、
今では海外からもオファーが来るまでに成長させた。
過去のしこりは消えないだろうが、
何とかこの会社を維持し活用しながら、
木頭の活性化に向けて共に歩めないものだろうか。
胸襟を開いて、話し合いたい。
高校の同級生というのは、けっこうな財産だと思う。
もちろん仲が良かった場合に限るけど。
電話一本で話がついた。
「しゃあないな。会(お)うたるわ」てなもんで。
会いさえすれば、何とかなる。
その予感通り、二人はすぐに本音で話し合い始めた。
過去の誤解の部分をひとつひとつ解きながら
当時の思いを語り、そして木頭村の将来について。
日野さんの思いは伝わったことと思う。
しかし榊野の心が晴れたわけではない。
ダム計画には、100%の賛成派も100%の反対派もおらんかった。
みんな悩んどったし、みんな傷ついた。
変わり身の早いヤツもおった。
親戚同士やのに、今でも口きかんようになった人らもおる。
このしこりは一生消えんなぁ。
時間はかかるだろうが、
未来志向で、新しい道を拓いていくしかない。
とりあえず、二人がいつでも会って話し合うことができる、
そのきっかけはつくれたかと思う。
いつか村内に一軒あるカフェで、
二人の領袖が笑い合いながら酒を飲む光景が見られ、
人が集まってくるようになったらいい。
できる応援は、惜しまないつもりだ。
で早速、無農薬のユズを売り込まれた。
高齢の農家にとって、山の傾斜地での作業はきつい。
なのでむしろ余計な手をかけず、
無農薬で育てて加工用に回す。
加工用なら表面の傷は許される。
有機JASの認証を取って、加工品で勝負する。
そしてしっかり農家に還元する(高い値段で買い取る)。
環境保全にもつながって、村自体をブランドにする。
これが日野さんがやってきた作戦だった。
せめて村が一つにまとまるための布石を売って、引退したい。
そうしないと死ぬに死ねない、と日野さんは頭を下げた。
日野さんのたたかいは続く。
榊野組合長、いやキャプテン!(元野球部主将だった)
頼むよ。
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