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チェルノブイリの祈りを

2016/07/12
  • 脱原発・自然エネルギー
  • 雑記その他
チェルノブイリの祈りを

参議院選挙が終わった。
ほぼマスコミが予測した通りの結果で、
まあ長い経験からさほどの驚きはないけれど、
これでいいのかという疑問は年々深まる。
憲法改正は争点ではないと言いながら、
勝利を確信するや、鉄面皮のようにやる気を見せる宰相。
しかもそれが「政治の技術」だとも。。。
危険な政治だ。

アベノミクスの恩恵を全国津々浦々に・・・
おこぼれを待ってろみたいな言葉に口を開けて期待するのは、奴隷の姿勢だ。
「茹でガエル」(だんだん水温が上がるのに気づかず茹で上がってしまうカエル)
にだけはならないようにしよう。

注目したいのは同日、鹿児島県知事選で当選した
三反園(みたぞの)氏の今後の動向だろうか。
「原発のない社会」の実現を訴えてきたが、さて
既成路線(力)とのたたかいをどう乗り切っていくだろうか。
支える陣営の力量も試されることになる。

 

ここでやっぱり、この本を紹介しておきたい。
こんなに重たい記録を生み出しているのが「今」という時代であり、
僕らがともに生きている同時代の世界でもある。
スベトラーナ・アレクシエービッチ著、松本妙子訳
『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波現代文庫)。

チェルノブイリの祈り

チェルノブイリ原発事故から10年後に発表され、
2年後の1998年に邦訳された。
そして2011年。3.11から3ヶ月後に文庫版が出版され、
昨年ノーベル文学賞を受賞した。
フクシマ以降、いろんな原発や放射能関連の書籍を漁ったつもりでいたが、
これを後回しにしたのは、まったく迂闊(うかつ)だった。

あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。
高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。
・・・ご主人は人間じゃないの、原子炉なのよ。

遺体はお渡しできない。
遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬されます。
亜鉛の棺に納め、ハンダ付けをし、上にコンクリート板がのせられます。
ついては、この書類にご署名願いたい。

ベラルーシ人はチェルノブイリ人になった。

この男が突然チェルノブイリ人に変わるんです。
珍しいものに!

「放射能はどこにあるんですか?」
「あなたが立つと、そこにあるのよ」

どこでも人は人の死体に平気になっている・・・

アフガンから帰ったときには、これから生きるんだということがわかっていた。
チェルノブイリではなにもかも反対。
殺されるのは帰ってからなんです。
・・・原子炉にまく砂のように、ぼくらはあそこにまき散らされた。

チェルノブイリはぼくら人間の経験や、
人間の時間で推しはかることができない。

子どもを生む罪。こんな罪がだれにふりかかるのか。
あなたはご存知じゃありませんか?
こんなことば、以前は聞いたこともありませんでした。

だれもなにひとつ理解していなかった。
これがいちばん恐ろしいことです。

チェルノブイリとともに生きているのは〈途方にくれた〉世代です。
ぼくたちは途方にくれてしまったんです。

たとえば、がんは死だという認識が子どもにはありません。
・・・私は、子どもたちが死んでいくとき、
とてもおどろいた顔をしているような気がする。
とてもおどろいた顔をして横たわっているんです。

チェルノブイリは、奈落への扉を開けたのです。
アウシュビッツよりも、ホロコーストよりもはるかに深い、奈落への扉を。

この子どもたちは雪を食べることができない。
どんなにきれいでも、どんなに白くても。

なんという権力だろう。
・・・これはもはやうそというものではない。無実の民との戦争です。

いまはまだ解き明かす公式がない。理念がないのです。

私たちはこれから、チェルノブイリを哲学として理解しなくてはなりません。

おしえてください。
ぼくがいなかったかもしれないってどういうことですか?
そしたら、ぼくはどこにいるんですか?

いまでは、空はぼくにとって生きたものです。
空を見あげると、そこにみんないるから。

 

この物語は終わっていないし、彼岸の話ではないのである。

「チェルノブイリ」を経験した人々の言葉を、ただひたすらに聞き取った作品。
これ以上の悲しみの言葉があるだろうか。
とてつもない想像力が必要だ。

感覚の新しい時代がはじまった。
私は未来のことを書き記している ・・・と
作者は語る。
過去から未来へとつながる時間と、その中にいる自分の存在。
何をすべきか考えたい。

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