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エビちゃん日記
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11月10日(土)、
二本松でのソーラーシェアリング完成式の続き。
完成式に参加した一行は、次の会場である
二本松市福祉センターに移動。
ここで渡辺智史監督による『おだやかな革命』の
上映会が開かれた。
地元の人たちも続々とやってきて、
300名近くは集まっただろうか。
この日を、仲間内で完成を祝う会で終わらせず、
地域に開かれたものにしたいという狙いが伝わってくる。
そこでこの映画の上映を組んだのは、
格好の選択だったと思う。
僕がこの映画を観るのは4回目だけど、
観るたびに気づきがあり、感心するだけでなく、
回を追って励まされているような気分が募ってくる。
各地の取り組みは力強く、かつ楽しそうで、
特に村に移り住んだ人々が地域に溶け込みながら、
資源を発掘し、新しい風を吹き込んでいく様は、
まさに今、 “おだやかに” 革命が進んでいる
ことを感じさせる。
これはやっぱスゴイ映画だと思った。
映画のあとは、渡辺監督と大内督さん、そして
二本松市東和に新規就農した東京出身の小林正典さん
の3名によるトークが行われた。
司会は菅野正寿さん。
福島は会津・喜多方に飯館村、
そして岐阜県郡上市の石徹白(いとしろ)地区に
岡山県西粟倉村、あるいは北上して
山形県にかほ市に遊佐町と、カメラを担いで走り続けた
渡辺監督が描き出したのは、新たな「自治」の姿だった。
奪われたもの、忘れ去られようとしていたものを
取り戻しながら、衣・食・住にわたって
暮らしが再生されてゆき、
“自分たちの” エネルギーを獲得していく姿。
そんな動きが全国各地で穏やかに進んでいることが、
観る人を励ましている。
この映画がきっかけになったり、
人をつなぐ力になれば嬉しいと語る渡辺監督。
メッセージはこの地の人々にも届いたことと思う。
東和地区に就農して3年という小林さんは、
最初に日銭を稼ぐために鶏を飼い、卵を販売し始めた。
市販の卵に比べて値段が高いこともあって
最初はお客さんもつかず苦労したが、
だんだんと平飼い卵の良さが口コミで広がり、
今では新規の申し込みはお断りしている状態だという。
最近、地域の悩みである害獣被害を何とかしたいと
狩猟免許も取得した。
「楽しいことばかり」だと語る小林さん。
彼の農園は「めぐり農園」という。
なるほど、「循環」ですね。
大内さんは、目下の悩みとして、
地元の加工業者が減っていっていることを上げた。
自分たちの農産物を原料に加工品を作っても、
なかなか売れないでいる。どうしたものか・・と。
司会の菅野さんが会場に意見を求める。
なかなか手が挙がらない空気が漂うなかで、
「3.11後もずっと支援してくれた大地を守る会の人たち
も来てくれてますが・・・」と持ち上げてきて、
嫌な予感がしてうつむいた瞬間、すかさず来た。
「戎谷さん、なにかコメントを」。
加工者の立場として気の利いた応援メッセージを
送りたいのはやまやまだけど、
ここは地元でしっかりとお金が回ることが一番だと
答えるしかないと思った。
5万人の二本松市民が、一個の豆腐や納豆でも、
あるいは煎餅でも、少しずつでいいので、
地元の原料を使った加工品を食べること。
それが地域を支えることになる。
安い輸入原料を使った加工品を選べば、
そのお金は海外に逃げていくわけで
(その意味で、日本の食料自給率を下げているのは
加工者にも責任があると僕は常々思っている)、
その気づきや選択のチャンスを提供するには、
小売りを巻き込むことが必要だ。
地元のスーパーからコンビニまで、
一品ずつでも棚に置かせる運動を、
消費者も含めてやってはどうか。
実はスーパーにとってもメリットが生まれる筈だから。
力のある有機農家が存在し、
新規就農者も多い二本松なら、できると思う・・・
農家にとって「加工」とは、
お城にとっての堀と備蓄の役割を持っていて、
それが安定的に機能することで城の防護は堅固になる。
特に大豆や麦は様々な加工食品の原料となるものだから、
豆腐や納豆や乾麺やお菓子などなど、
地元の原料を使ってくれる加工屋さんの存在は、
彼らにとっては顧客ではなく同士である。
関係を安定させる鍵は、消費とのつながりしかない。
それをつなぐのが流通と販売者である。
特に地方であれば、その地域の販売者を伴走者にしたい。
なんか突き放したようなコメントになっちゃったけど、
これも大事な、おだやかな革命の一歩だと思うのである。
もちろんよそ者であれ、
手伝えることがあればやりたいと思っているし、
それはずっと考えてもいることでもある。
上映会を終えたあと、
関係者は駅前のホテルに移って祝賀会となる。
少しくつろいだ表情で、督さんが挨拶。
今日はお疲れ様でした。
米と野菜はすべて二本松有機農業研究会の
生産物で並べられた。
督さんのお父上、大内信一さんと渡辺智史監督、
近藤恵さんのスリーショットを一枚、撮らせていただく。
今日の出番はすべて息子に譲って、
ずっと後ろに座っていた信一さん。
有機農業歴40年という苦闘の時間を経て、
エネルギーの自給を形にするところまで辿りついた。
おだやかに笑う表情の内側で、
どんな思いが巡っていたのだろう。
無から有を生み出してきた第1世代としての感慨もあれば、
まだまだ続く試練を「甘く見るなよ」と、
後進たちを見つめる目は厳しくもあるように思えた。
ただ共通しているのは、
この7年の拭いきれない悔しさと、「希望」だ。
今日のこの一歩を祝いつつ、
みんなが未来を見つめている。。。
笑顔とともに強い決意を感じさせてもらった一日だった。
長くなったけど、最後に個人的思いを吐露して、
二日間の総括としたい。
日本国内に54基あった原発のうち、
すでに20基以上の廃炉が決定しているが、
廃炉作業には青天井ともいえる(計算しきれない)
年月と費用がかかり、
かつ放射性廃棄物の最終処分先は決まっていない。
そこでこれから廃炉となっていく原発(最後はすべて)
のぶんも考えるなら、最終処分場をどこにするか、
どこに引き受けてもらうかは、
日本人すべてが責任をもって考えなければならないこと
だという点については、論を待たないと思う。
いっぽうでこの間9基が再稼働を決定し、
さらに地域との合意を目指しているところがある。
これらの再稼働の過程を見ていて、ずっと
納得できずにわだかまっているのが、
周辺地域あるいは「地元」という観点である。
「地元」ってどこまでなんだろう。。。
福島原発事故後の凄まじい事態を経験したこの国で、
未だに「地元の承認」があれば再稼働できるという
理屈がまかり通っているのは、どういうわけか。
もし「地域経済のため」に必要だと主張し、
「よそ者は黙れ」という方がおられるなら、
これから生み出される放射性廃棄物は
その地で最終処分まで責任を取ってもらうこと、
という議論もやってもらう必要があるのではないかと、
どうしても考えてしまうのである。
それを「我がまま」だというなら、
そっちこそ「我がまま」だろうと主張する
セコいワタクシの心を、僕は説得できないでいる。
再稼働の決裁権を限定された「地元」に委ねるのは、
もはやあり得ないんじゃないか。
さんぶ野菜ネットワーク30周年の記念講演で
小泉元総理にご教示いただきたかったのが、
ずっと晴れずにいるこの疑問だった。
そして周辺自治体でもなかった福島・二本松で、
長い苦しみやたたかいの末に畑に建設した
ソーラーパネルを見つめながら、やっぱり思うのだ。
原発に「地元」なんてない。
その言葉によってつくられてしまう「分断」を
僕らは超えなければならない。
自然エネルギーにも様々な思惑のものがあるけど、
地域住民主体によるエネルギーの創造には
「自治」を育む力がある。
その自治には、地域間の連帯を紡ぎ出す力がある。
「おだやかな革命」のその先に、
この「無責任国家」を乗り越える姿があることを
胸に描きながら、前に進みたいと思う。
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