BLOG
エビちゃん日記
- 大地を守る会
- 食・農業・環境
「木造船は、海に浮かぶ森であった。」
「気仙沼地方の水田の面積は約九百ヘクタールしかないが、
実は海に三千ヘクタールの水田がある」
-『森は海の恋人』(畠山重篤著。1994年、北斗出版刊)
僕が初めて気仙沼市唐桑町の牡蠣漁師・畠山重篤さんを訪ねたのは
21年前の1994年のこと。
“ 森は海の恋人 ” という美しい言葉を掲げてスタートした植林活動も5年経っていて、
メディアで紹介されることも一気に増えてきた頃。
言ってみれば「ブレイクしてきたな」といったタイミングだった。
取材から帰ってしばらくして上記の本が出版され、
その文学的な豊かさに、驚きとともに深い感動を覚えたのだった。
僕が訪ねた頃は、原稿を書き終えたあたりだったと思われる。
あれから20年余。
畠山重篤の名は世界に鳴り響くまでになった。
その間、僕はずっと畠山さんをいつか
大地を守る会にお呼びしたいと願い続けていて、
やっと実現したのが一昨年の秋、福島で開催した女性生産者会議だった。
震災と原発事故という大災厄を乗り越えようと踏ん張る福島の女性たちの前で、
畠山さんは自然の力のダイナミックさと、
森から海までの深い恵みのつながりを、希望とともに語ってくれた。
続いて昨年は青森でのコメの生産者会議でもお呼びし、
そして今回、念願の都心での開催となった。
大地を守る会の5つの専門委員会合同での新春勉強会。
加えて築地市場の仲卸業者さんたちの親睦団体「銀鱗会」も協賛してくれて、
築地市場内の講堂を用意してくれた。
1月17日(土)、
会場に来てくれたのは160名くらいか。
残念だと思うのは、せっかく銀鱗会が呼びかけてくれたのに
築地の仲卸業者さんの参加が少なかったこと。
銀鱗会会長の粟竹俊夫さんによれば、
これまで畠山さんを築地にお呼びすること自体なかったらしい。
畠山さんはもちろん、しょっちゅう築地に来ているというのに。
ここで環境のことなど考える人も少ない、というのはいかがなものか。
まあ、これが一つのきっかけになってくれれば有り難いが。
さて、「NPO法人 森は海の恋人」理事長、畠山重篤さんの話。
父親が始めた牡蠣の養殖を継いだ2代目。
息子の信さん(副理事長)も一緒にやっていて、今は中学生の孫を鍛えている。
4代目ができれば100年続くことになる、と嬉しそうだ。
漁民が山に木を植える。
27年前に始めて、今や毎年1500人のボランティアが参加する
一大イベントになった。
小学5年の社会科では、15年前から全社の教科書に登場する。
つまり現在小5から25歳の間の子は皆知っている話であり、
これからの日本人はすべて
“ 森は海の恋人 ” の物語を聞いて育っていくってことだ。
小中学生の体験学習も積極的に受け入れてきて、
水産大学に進学したとか、大学の研究テーマにしたとかの手紙が届くことも多く、
まだまだ日本は捨てたもんじゃない、と畠山さんは感じている。
高校の英語の教科書で取り上げられる際に、
「森は海の恋人」、とくに「恋人」をどう訳すかには苦労した。
その経緯は女性生産者会議のレポートでも書いたので割愛するが、
皇后陛下から “ long for ” の言葉をもらったのは、
植樹祭の場ではなく、94年、朝日新聞森林文化賞を受賞して
皇居に呼ばれた後にFAXで届いた、というのが事実のようだ。
この場を借りて訂正しておきたい。
大平洋ばかり見ていた漁師が川の上流に目を向けるようになったきっかけは
30年前、海が汚れ、よくないプランクトンが増えてきたことだった。
カキやホタテにとっては珪藻類が多い海水が望まれるのだが、
赤潮の原因になるプランクトンが増えると、カキの身も赤くなってしまう。
赤潮にまみれる海から、珪藻類の海にどう戻すか。
悩む中で背景に目をやり、流域をどう守るかが生きる道だと知るに至った。
森を守る運動を始めるにあたって、畠山さんが考えたコピーはこんなだった。
「ワカメもカキも森の恵み」。
周りからダメ出しを食らうも代案が浮かばす、
悩む畠山さんは言葉を探して和歌の世界に踏み込んだ。
気仙沼と言えば、国文学者で歌人の落合直文を輩出した地。
落合直文は、正岡子規らとともに和歌を庶民のものにしようと活動した。
門弟には与謝野鉄幹がいる。
和歌を詠む文化が気仙沼にはあり、
畠山さんは地元の歌人・熊谷武雄の歌碑に向かう。
手長野に木々あれども たらちねの 柞のかげは 拠るにしたしき
(手長山にはいろいろな木々があるが、柞(ははそ=ブナ・ナラなどの古語)
の林はお母さんの処に行ったようで心が休まる、の意)
そしてそのお孫さんにあたる熊谷龍子さんと出会うのである。
龍子さんは初めて牡蠣の筏に乗り、海から山を眺め、詠んだ。
森は海を海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく
まさに「行動することによって何かがついてくる」ことを実感した
と畠山さんは語るのだが、しかしまだその時点では、
川の意味は分かっていなかった。
水産の学者たちは海しか見てないし。
そこで次に出会うのが、
北海道大学教授の松永勝彦さん(現四日市大学教授)である。
その辺の話も以前(2011.12.16)に書いたので割愛するとして、
松永さんが鉄、特にフルボ酸鉄の存在に光を当ててから、
畠山さんの中ですべての疑問が解かれていく。
すみません。続きは明日。
お問い合わせ
Contact
商品、委託加工、
その他ご不明点につきましては、
お気軽にお問い合わせくださいませ
-
055-974-2236
8:00-17:00(土日祝除く)
- お問い合わせフォームはこちら