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ありがとうカレンダー

2024/03/12
  • あんしんはしんどい日記
  • かんなみ百景
ありがとうカレンダー

あれから13年・・・

3月11日が来るたびに、
“ あれから ” の年数を数えてしまう。

2万2,222人の死者・行方不明者を
出した東日本大震災。
原発の過酷事故も重なって、福島では
いまも2万人以上の人が、県外での
「避難生活」を続けている -といわれる。
自主避難も含めると正確な数は分からない、
とも。

新天地で生活を落ち着かせた人たちにとっては、
すでに「避難生活」ではないと思うが、
それでも「避難した」という過去は
心の襞(ひだ)から拭えずに
暮らしを紡いでいってるんだろうか。
故郷を捨てざるを得なかった無念とともに・・・
ゲンパツは本当に罪なことをしたと思う。
お金ではとうてい償うことのできない罪を。

 

いっぽう能登地方では、
あれから2ヵ月経って、
避難生活を続ける人が1.1万人、
なお2万戸近くが断水状態にあるという。

幸い原発は止まっていて事故は起きなかったが、
もし起きていたらどんな事態になっていたことか。
避難ルートが断裂した状態からは
恐ろしい事態も想像されたものだった。

もちろん事故を前提に議論することは
慎まなければならないけれど、
設定していた「避難計画」が
ただの机上の論理であったことは、
充分検討されなければならないことだ。

 

いっぽうで、災害のたびに感じる「希望」は、
無償の支援者(ボランティア)たちの姿である。

三陸から能登に支援に来た人たちが、
「今度は私たちが-」と
食事提供なんかしているシーンを見ると、
やっぱウルッとくる。
無償の助けあいは生きているし、
新しいコミュニティのかたちを
想像させてくれる。

社会は資本主義で動いているだけじゃない、
とも思ったりする。
僕自身はせいぜい、カンパか
救援物資の提供くらいしか
できてないけれど。。。

 

そんなもどかしさを感じつつも、
嬉しいこともあったりするもので、
ひとつ、記録しておきたい。

 

とある日(-ということにして)。
午後3時半くらい。

車の荷物を整理していたら、
オラッチェの広い駐車場のなかを、
ランドセルを背負ったじゃりン子たちが、
こちらに向かって走ってくる。
丹那小学校から下校途中の子どもたちだ。
6,7人ほど。

どんどん近づいてくるや、
「あ、エビちゃんだ!」
「エビちゃん?」
「そうだよ。この人、エビちゃんなんだよ」

なんだこいつら・・
まあ、オジイちゃんと言われる
よりはイイか。。。

あっという間に取り囲まれ、
一斉に「こんにちはー」と声をかけられ、
「やあ、こんにちは。久しぶりだね」
と返す。
昨年6月の「ふるさと給食」
10月の竹灯籠づくりで見た
顔ぶれがあった。

 

と、突然、
「エビちゃん、これあげる!」
と女の子が封筒を渡してくれた。
函南町教育委員会の封筒に
「戎谷徹也様」というシールが
貼られている。

なに?
と封を開ければ、手作りのカレンダー
が出てきた。

添えられていた土屋校長からの手紙。

学校は年度末を迎え、今年度計画した
教育活動を無事に終えることができそうです。
子供たちは、今できることを懸命に行ったことで、
自分の成長を感じています。
そして、この一年間を振り返り、自分たちの成長は、
地域の方や保護者のおかげであることに
気づきました。

そこで、感謝の気持ちを伝えるための取組として、
「ありがとうカレンダー」を製作することにし、
一人一人が思い出の絵を描いたり、
お礼のお手紙を書いたりしました。
つきましては、感謝の気持ちを込めて作った
「ありがとうカレンダー」を寄贈いたします。

 

カレンダーは3月から始まっていた。

卒業式かな?

5-6月は山登り?
これはきっと、丹那小学校の恒例行事、
玄岳(くろたけ)登山の思い出だ。
熱海市との境にあり、
丹那盆地から見える一番高い山だ。
春に、1年生から6年生みんなで登る
と聞いている。

 

こんなふうに、秋の運動会や豆まきなど、
楽しい思い出が描かれている。
おそらくは1年生から6年生それぞれ
一枚ずつで構成したものだ。

「わぉ、嬉しいねぇ。
 会社に飾っておくね。ありがとう!」

 

子供たちの一番後ろに、
メンマ給食のきっかけを作ってくれた
鳥屋咲七(さな)さんの笑顔が見えた。

「もうすぐ卒業だね。
 体に気をつけて、頑張ってください」
「ハイ!」

 

短いかい会話で、
「じゃあね~」と手を振って、
子供たちは走り去っていった。

デスクに戻り、改めて取り出したら、
ポロっと、咲七さんからの手紙も出てきた。

失敗した。みんながいるところで
ちゃんと中を見るんだった。
咲七さんには夜、お礼のメールをしたためた。

手紙からは、学びが後輩に
引き継がれていることも連想される。
ただ楽しい思い出づくりで終わってない
ところが、頼もしい。

 

災害支援と比較するような話ではないけれど、
これも自分にできる、地域への
小さなボランティアだと思っている。
子どもたちを育てることは
地域を育てることにもつながっていると、
僕は信じる者だ。

年度末に入って、
社長業にはストレスのたまる時期。
思いがけないプレゼントに、力をもらった
気持ちになった。
ありがとう、丹那小の子どもたち。
この返礼は、またいずれ。

いや待て。 手紙にある
「3月までにもしかしたら~」
の文字がなんか、コワくないか。

何だろう、ドキドキしてきた。。。

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